山口蓬春記念館20周年特別展Ⅰ-プロローグ-
山口蓬春と北海道
2011年9月16日(金)~11月13日(日)
この展覧会は終了しました。
山口蓬春記念館は、平成3年(1991)10月15日に開館しました。当館では、本年9月から翌年5月にかけて「山口蓬春記念館20周年特別展Ⅰ~Ⅳ」を開催し、その生涯と画業の変遷を新たな研究成果に基づいて展観いたします。その第一弾は、「プロローグ・山口蓬春と北海道」です。
日本画家・山口蓬春(1893-1971)は、明治26年(1893)に北海道松前郡で生まれ、幼少時代を札幌で過ごしました。明治36年(1903)頃には上京したため、蓬春が北海道で過ごした期間はわずか10年ほどに過ぎませんでしたが、その縁は画業を通じて生涯にわたり続いていきました。
昭和6年(1931)、北海道出身の在京画家を中心に北海道美術家連盟が結成されると、蓬春は会員として参加しています。山形県に疎開していた昭和21年(1946)には、北海道で創刊された雑誌『北方風物』に表紙絵のほか北海道での思い出を綴った「鳥」を寄稿しています。そして昭和30年(1955)、日本美術展覧会北海道展開催のため、約50年ぶりに故郷を訪れた蓬春は、この時の印象をもとに《まり藻と花》を制作しました。また、昭和38年(1963)に『朝日新聞夕刊』に掲載された「新・人国記」北海道編では、蓬春が挿絵43枚を担当しています。
北海道について蓬春は、「人のやらなかったようなことをやってのける人が多いですな。これは北海道人特有の不屈の魂の発露でしょうネ。」(『毎日新聞北海道版』昭和28年1月6日)、「私は北海道の生まれで、何でも新しいものをよしとする土地柄の人間ですから、当然のこととして最初は洋画科へ入ったのですが・・・」(『三彩』163号 昭和38年6月1日)としばしば言及しており、自らの故郷を強く意識していたことが窺えます。
「求新」の人と例えられた蓬春の新日本画創造にかけた不屈の精神とその原動力は、あるいは"道産子"としての自負に由来していたのかもしれません。
本展では、蓬春の原風景ともいえる北海道に焦点をあて、蓬春作品のコレクションで知られる北海道立近代美術館、北海道立函館美術館所蔵作品を中心に蓬春の画業と北海道への想いを探ります。