平成13年11月1日(木)〜12月24日(月) 戦後日本画壇においての山口蓬春は、昭和25年に日本芸術院会員に任命され、日展日本画部の指導者のひとりとなっていました。蓬春は師・松岡映丘のように画塾をつくることはありませんでしたが、かれのもとには若い画家たちが集まり、蓬春一門のグループが形成され始めていました。蓬春はこれらの後進の画家たちに対して強い指導力を発揮し、戦後の日本画壇をリードしました。
この展覧会で取り上げた5人を始めとする後進の画家たちは、いずれも新日本画の精神を受け継いだ次の世代として、戦後の日本画壇に新しい潮流を形成し、日本画の方向性を示す原動力となったのです。
山口蓬春(1893−1971)は、昭和日本画壇において新しい日本画の可能性を模索し続け、日本画の進むべきひとつの方向を示した画家です。蓬春は伝統的な技法を基盤に、西欧の近代絵画を取り込みながら、日本画の技法をもって表現しうる可能性の大きさを示しました。 やがて蓬春モダニズムと形容される世界を創り出した蓬春は、後進の日本画家にとって大きな指標となり、昭和40年には文化勲章を受章します。 今年は葉山の蓬春自宅跡に、(財)JR東海生涯学習財団により山口蓬春記念館が開館して10年となります。本展はこれを記念し、全国の美術館・所蔵家から集めた蓬春の絵画を、ゆかりの画家たち(浦田正夫、加藤東一、大山忠作、佐藤圀夫、高山辰雄)の作品を加えて紹介し、昭和日本画壇における蓬春芸術の展開とその系譜を再確認しようとするものです。 平成13年10月6日(土)〜平成13年10月14日(日)
○講演会案内 10月13日(土) 午後1時30分〜午後3時 宮城学院女子大学教授 井上 研一郎 氏 「伝統とモダン−山口蓬春の場合」
平成13年9月1日(土)〜10月28日(日) 山口蓬春は明治26(1893)年に、吉田五十八は翌年の明治27(1894)年に生まれています。絵画と建築との違いはありますが、2人は1年違いで東京美術学校(現、東京藝術大学)へ入学し、共に他人より倍の在学期間を経て、大正12年(1923)年に卒業しました。2人は生涯にわたり久しく交流を続け、蓬春亡き後には、五十八によってその墓碑の設計が行われました。2人はまさに同時代を生きた芸術家であり、その活動は多く共通する部分を持っているといえます。 今回は、この2人の関係に焦点をあて、昭和28(1953)年に五十八によって設計された蓬春の画室をご覧頂くとともに、「蓬春モダニズム」といわれた昭和20年代の蓬春の創作活動の源泉を探ります。
平成13年5月24日(木) 〜 7月29日(日) 昭和10年、以外の全ての団体と決別し「一個の自由人」となった山口蓬春−。 彼は、昭和13年以来毎年のように台湾や中国、南方の各地に赴きました。 昭和15年制作《南嶋薄暮》の背景となった台湾の海港・淡水を訪れた蓬春は南方の各地に見られる鮮やかな色彩に、殊に感銘を受けていたようです。 この度、当館開館10周年記念企画の一つといたしまして「南嶋薄暮展」を開催し、作品そのものの美しさのみならず、蓬春が初めて目にした異国風景を、現地にて制作された素描や蓬春自ら撮影した写真をとおしてご覧いただく次第です。 作品 《南嶋薄暮》 昭和15年 山口蓬春 個人蔵 《林本源庭園 素描》 昭和13年 山口蓬春 《小美の像 素描》 昭和13年 山口蓬春